平安時代のポイント「摂関政治」は文学史と絡めて覚えよう!
こんにちは。艇学スクール東京校で学科講師を担当している太田です。
暗記科目の代表選手といえば、やっぱり「社会」。暗記ってどうしても単調になりがちで、つまらないですよね。でも、ちょっと深く掘り下げて、他との関連性を調べると意外と面白いことを発見したり、それがきっかけで自然と暗記できたりすることもあるんですよ。
今日は歴史の平安時代と文学史を絡めたお話です。
平安時代といえば、私も子供のころは「鳴くよ(794年)うぐいす平安京」と語呂合わせで暗記したものです。
この都を平安京に遷したのは桓武天皇でしたね。これ、過去に何回も出ていますから暗記必須です。
そして平安時代の大きなポイントといえば、、、
そう、「摂関政治」です。
藤原道長・頼通 親子のときが全盛って習いましたよね。
道長はあまりに自分の思い通りに事が運んだためか、次のような歌まで詠んだというのは有名な話です。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
意味は
この世は自分のためにあるようなものだ 満月のように欠けることなく自分の人生は完璧だ 或いは 満ち足りている
※望月=満月
といった感じでしょうか。
ではどのようにうまく事が運んだかというと、、、
自分の娘3人を次々と天皇の妻にして、権力を確固たるものにしたんですね。
先ほどの歌は3人目の娘が正妻となった直後の祝宴で詠まれたものなんです。
なみに、この歌が詠まれた日は天文学者の調べによると本当に満月だったらしいですよ。
ところで、最初に長女「藤原彰子」を一条天皇に嫁がせたとき、実は一条天皇には既に正妻「藤原定子」がいたんです。
んっ?同じ藤原?
そうです。親戚です。道長の兄の娘です。つまり姪ですね。
この頃ですから、兄弟、親戚はライバルだったりするので、道長にとっても邪魔な存在なんですね~。
藤原家は代々娘を天皇に嫁がせて権力を握っていたので、道長も当然権力者。当然ごり押しもきいたようで、一時的に正妻が二人(二后)という異常な状況を作り出してしまいました。
ちなみに「藤原定子」は二后状態となった2年後、難産で亡くなってしまいます。
道長は当然ごり押しもしたでしょうが、天皇側のメリットも考えていました。
娘に女房(今の意味と違って秘書、家庭教師的存在)をつけて教養を高め、「うちの娘は教養があって、他の女性よりも天皇の妻にふさわしい」というようにしたんですね。
そして長女彰子に女房として仕えていた女性の中にいたのが、実は、、、
「紫式部」なんです!
おおっ、やっと文学史と繋がってきました。紫式部といえば「源氏物語」で有名ですよね。
そして話はここで終わりません。先ほど出てきた元々正妻だった「藤原定子」ですが、やはりこちらにも有名な女房がいました。
それは、、、ズバリ、
「清少納言」です!
お、大物が続きますね。清少納言といえば三大随筆の一つ「枕草子」で有名ですね。
摂関政治と清少納言、紫式部がこんなふうに繋がっていたとはビックリですよね。
文学史の問題は作者と作品名を問うものが多いですが、実はたまに作品の時代を問われることもあるんです。
先ほどの知識があれば、「枕草子、源氏物語は摂関政治のころだから、平安時代だね。」という感じで自然に思い出せますよね。
どうです?歴史もちょっと掘り下げると面白い発見があるでしょ?
皆さんも気になったら、ちょっと深く掘り下げて調べてみてください。面白いことが見つかって、自然と暗記できちゃうかもですよ。
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それではまた更新します!
東京校学科講師 太田